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■不正受給していた通勤費の返還請求ついて確認する

 当社では、通勤費の不正請求が発覚し、不正に受給した従業員に、通勤費の返還を求めた。

 しかし、その従業員よりすぐに返還をすることができないとの申出があり、返還の方法として賃金から控除しようと思うがさしつかえないか。

 また、その他に返還の方法があれば知りたい。

 会社は、通勤費を不正に取得した従業員に対して、従業員の経済生活を脅かすことのないように一定の要件のもとで、その過払い賃金についてその後の毎月の賃金から控除することができるものと考えられます。

<POINT1.会社の不当利得返還請求について>

 まず、本件について従業員は、就業規則等で定められたところにより本来通勤にかかる費用として請求し支給されるべき通勤手当を不正に受給したものであり、法律上正当な理由がないのにもかかわらず会社から不当に利益を得たことになりますので、会社は、民法上の不当利得返還請求権(民法703条、704条)を行使することができます。

 

<POINT2.賃金の控除について>

 ところで、本件のように不正受給をした従業員が、すぐに返還ができないと主張する場合に、会社としては、賃金と差し引くべき金額を相殺することができるでしょうか。本来支払われるべきではなかった通勤手当が支払われた場合、その過払い賃金について、その後の毎月の賃金から一方的に控除することができるか否かについては、賃金の全額払いの原則(労基法24条)との関係から争いのあるところです。労働基準法第24条で、「賃金は、……その全額を支払わなければならない。」と定めている趣旨は、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止することによって、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものです。

 したがって、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺するのを禁止することをも含まれます。

 

<POINT3.賃金控除の要件について>

 しかしながら、この賃金の全額払いの原則も、一方的に労働者の経済生活を脅かすことを禁止する趣旨であるとすれば、一定の要件の下においては賃金を控除することが認められると考えられ、多くの裁判例も同様の立場をとっています。

 賃金の全額払いの原則が、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものであるから、使用者が労働者に対して有する債権を、労働者がその自由な意思にもとづきその相殺に同意した場合には、その同意が労働者の自由な意思にもとづいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、労働基準法第24条に違反するものとはいえないと考えられます。

 すなわち、過払いのあった時期と賃金の清算調整の時期が合理的に接着し、かつ、あらかじめ労働者に予告されるとか、その額が多額にわたらない等、労働者の経済生活の安定を脅かすおそれのないものであるときは、労働基準法第24条に違反しないこととなります。

 

<POINT4.結論>

 さて、本件では、会社は従業員の不正な手段による通勤費の受給に対して、従業員に対する過払いの時期から合理的な期間内に返還請求をしているものと判断され、賃金の控除についての労使協定がある場合にはこれにもとづいて控除(相殺)をすることができるものと考えられます。

 控除についての労使協定がない場合においては、従業員の同意を得て賃金の控除ができるものと考えられます。この同意が得られない場合には、会社としては、従業員の通勤費の不正受給により損害を被ったものとして、別途、不法行為による損害賠償請求をすることとなります。

 なお、裁判例で、相殺ができる場合における限度額は、労働者の経済生活の安定を脅かすおそれの観点から、民事執行法第152条にもとづき毎月の賃金の4分の1までとするものがあります。

 通勤費以外にも、不正受給をしていた諸手当に返還請求が行われた判例としてドコモCS事件[東京地判平28.7.8])があります。これは、従業員夫婦が自己の共有名義(一部実父名義)の建物に居住しながら、実父と賃貸契約を締結し、会社から住宅補助費を長年受給していたものです。裁判所は従業員夫妻に未必の故意が認められるとし、会社の支給決定の意思表示は、要素の錯誤による無効または詐欺による取消しでその効力を有しないから、住宅補助費の受給は不当利益にあたるというべきとしました。夫妻は過誤取扱通達に基づく返納の範囲(「発見日」から遡って3年の範囲)で返還を求められました。

 

<POINT5.不正受給にかかる裁判例>

 通勤手当の不正受給にかかる裁判例を紹介します。

 不正受給の方法として、実際の通勤経路と異なった経路を示して通勤手当を申請したり、起点となる居住地をすり替えたり、公共交通を利用するとして申請しておきながら自転車・徒歩による通勤をしていたり、様々な形態があるようです。ここでは実際の裁判例とその結果を考えます。

  1.  実際の居住地から遠く離れた地に転居届を行い、その住民票と通勤届けを提出して、4年半にわたり虚偽の住所地を起点とする通勤手当を不正受給していたことが就業規則の懲戒解雇事由に該当するとして懲戒解雇された労働者が、解雇撤回を求めて争った事件があります。裁判所は「東京都品川区に居住しながら、被告会社に対しては、平成4年3月に宇都宮市に転入した旨の住民票を提出して転居の届出をし、この住民票上の住所と被告会社の所在地(東京都品川区)との間の通勤手当の請求をし、平成4年3月から平成8年9月分まで合計金271万円余を受領したことを推認でき」、「本件懲戒解雇を行うに足りる十分な根拠がある」と判断しました(かどや製油事件[東京地判H11.11.30])。
  2.  通勤手当を請求するにあたって、起点となる住所地を勤務場所から遠く離れた県外の実家とし、約5年間通勤手当を受給していましたが、実際は勤務場所から数キロ離れたいわば近所に住んで通勤していたものでした。会社はその労働者を懲戒解雇し、不法行為による損害賠償を請求し、労働者は解雇撤回を求めて争いました。裁判所は「住所を遠方の平塚市と偽って、被告から定期代として合計102万円余を詐取したところ、このような行為は、刑法に該当する犯罪行為であって、即時解雇されてもやむを得ないと認められるほど重大、悪質な背信行為であるといえる」と判断して懲戒解雇を是認し、「通勤手当詐取の不法行為に基づく損害賠償には…理由がある」として、不正受給に対して厳しい判断を示しました(アール企画事件[東京地判H15.3.28])。
  3.  従来の通勤経路から安い経路に変更したことにより通勤手当に1か月あたり7千円ほどの差額がでたものの、その変更を会社に申告しないで5年間にわたり合計35万円の差額を不正に受給していたもので、会社は当該労働者を不正受給していたことについて懲戒解雇処分としたことに対して、労働者が解雇撤回を争った事件です。裁判所は、通勤経路の変更を考えると「本件不正受給に及んだ動機自体はそれほど悪質であるとまでは評価し難い。…また(合計35万円は)被告の現実的な経済的損害は大きいとはいえないし、原告は、組合を通じて、被告に対し、直ちに上記金員を返還する準備をしている。」と判断し、「本件懲戒解雇は、その余について判断するまでもなく、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当性を欠くものとして、無効というべきである。」と判示しました(光輪モータース事件[東京地判H18.2.7])。

 このように通勤手当の不正受給については、そのこと自体が許されるべきものではないとしても、懲戒などの判断においては、悪質性の有無が評価の分かれとなっています。しかし、会社としては不正受給された金員については不当利得として返還請求・損害賠償ができることは先に説明したとおりです。通勤手当については交通機関の料金改定等の時期に通勤経路の確認などを行うことは労使双方にとって有意義であると思われます。

※当記事作成日時点での法令に基づく内容となっております※


≪参考となる法令・通達など≫

  • 労基法24条
  • 民法703条、704条
  • 民執法152条
  • 最判昭45.10.30
  • 最判平2.11.26
  • かどや製油事件[東京地判平11.11.30]
  • アール企画事件[東京地判平15.3.28]
  • 光輪モータース事件[東京地判平18.2.7]
  • ドコモCS事件[東京地判平28.7.8]